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2006年11月13日 (月)

思いを持って・・・

また、イジメが原因と思われる自殺があった。今回は小生の自宅の近所。中学校1年生が自宅(8階)から飛び降り自殺をしたということ。

その後、北九州の小学校校長が自殺。生徒間の恐喝問題で虚偽の報告をしたことに責任を感じていたのだろうか・・・・・

ここ最近、どれほど「自殺」という言葉を耳にしただろうか。すごく軽く聞こえる自分に、ハッとしてしまう。本当は、この上なく重い言葉のはずなのに。

小生は、とある地方公務員。場合によっては教育委員会で教育行政に携わる機会も十分に考えられるが、果たして自分ができることは何なのだろうか?今の責任の所在が曖昧な教育行政システムの中で、ただの役人ができることは限られているのだが、実はキチンと考えたことがなかった。

役所には、いくつかの「任命権者(にんめいけんじゃ)」というものが存在する。知事から独立して、知事の政治的影響力を排除する、というのが簡単な仕組み。例えば、教育委員会、人事委員会、監査委員等がそういう「任命権者」にあたる。

理屈上、教育委員会は知事から独立しており、地方の教育行政を推進していく中心的存在となる。しかし、その仕組みは、教育委員という委員が数名いて、月に1、2回程度、会議を行うだけで、実態としては、地方自治体にある「教育委員会事務局」が行っている。あまり知られていないと思うが、地方自治体に存在する「教育委員会」とは、法的には事務局機能、ということであって、基本的な意思決定は前述の「教育委員」が合議で行うわけである。

ただし、教員の人事や予算等、実際に行政を行うのは「教育委員会事務局」であるため、権限や責任の所在が曖昧になるわけである。

何か不都合があれば、事務局はあくまでも「教育委員」での合意に基づき、事務的に作業を行っているだけ、と言い訳できるし、首長は「教育委員会」は知事から独立した行政機関なので、と言い訳ができる。教育委員の面々は、事務局の意向に従っただけ、と言い訳できる。結局、そのしわ寄せが現場の学校、生徒に出ているのだと思っている。

しかし、最近のニュースを見るにつけ、あまりに悲しいしわ寄せだと感じざるを得ない。我々役人は、実際にその現場を肌で感じなければならない。特に、人事や予算などの権限を持つ内部管理の人間たちは、本当に現場がどうなっているのか、をキチンと聞いて見て、そして感じて査定しなければならないはずである。単に財政難だとか、定数削減、などという議論では済まない。では、役人としてどうしていけばいいのか?

役人は、どんな職場でどんな公務に携わろうと、やはり「思い」を持って取り組まなければ、と改めて思った。その「思い」の源は、「市民に対する」ということだろう。

嫌な団体も多いし、議員に叱られることもある。理不尽な上司に悩まされたり、同じ職員同士にすら極めて横柄な態度をとる職員もいる。でも、自分の仕事が色んな形で市民に反映している、と考え行動することが、今の役人に大いに欠けている部分だと感じている。

それは、市民に対して「媚びる」ということではない。理不尽なものや、特定の市民に対する利益供与につながるようなこと等は、毅然とした対応をしていくべきである(なかなか難しいけれど)・・・。

役人の不祥事や、イジメ問題、それに基づく自殺・・・・・多くの人は「社会が悪い」という。しかし、「社会」とは一体何なのだ?自分は社会とは関係ないのか?

社会のせいにしてしまえば、それらしく聞こえるが実は何の具体的な解決策も見出せない。行政として、役人として、どんな職場のどんな公務に携わったとしても、「思い」を持って仕事していきたいと思う。

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